プロジェクト・トーキング03_ヒューマンスケール(阪急神戸三宮駅周辺地区)

Vol.37対談・鼎談関西支部だより
関西支部だより+ 37号(2024年3月版)  
テーマ:ヒューマンスケール(阪急神戸三宮駅周辺地区)
岸本しおりさん(ハートビートプラン)
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栗山尚子さん(神戸大学)
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村上しほりさん(大阪公立大学)

■企画趣旨の説明(編集広報委員会より)

日時:2023年11月1日 場所:㈱地域計画建築研究所大阪事務所
主催:都市計画学会関西支部編集広報委員会

まちづくりプロジェクトの批評の場をつくる
関西のまちづくりのプロジェクト・事例を回ごとにひとつ取り上げ、そのすぐれた点や興味深い事象を「独自」の切り口で評するレビュー・トークセッション

編委関西のまちづくりプロジェクトの批評の場を設けたいという思いで立ち上がった企画「プロジェクト・トーキング」は、まちづくりプロジェクトそのものへの評価や批判といった「プロジェクトの良し悪し」ではなく、まちづくりプロジェクトを介した批評者同士の「トーク」を主要な目的としています。

 ここでは「批評者」は「話者」と呼ばれます。話者は、テーマとして設定されたまちづくりプロジェクトに対する着眼や解釈を他の話者に話題提供し、それを起点に話者間で掘り下げを行っていただくことで、当該まちづくりプロジェクトの新たな価値が浮かび上がります。さらには、話者の内なる見識や哲学が表に出て交わりあうことによって、(記録の読者も含めて)互いに学びを高めあい、新たな理念や仮説が立ち上がることも合わせて期待されます。

 第3回となる今回は、「阪急神戸三宮駅周辺地区」をケーススタディとし、「ヒューマンスケール」をテーマに、岸本しおりさん、栗山尚子さん、村上しほりさんにお集まりいただきました。では、よろしくお願いします。

1.話題提供

話題提供:岸本

まず、好きなヒューマンスケールが何かを考えてみました。私は沖縄出身なのですが、アジア感が残る栄町市場が思い当たりました。他には、ただの空き地に机、椅子と屋台だけが置かれているひばり屋という喫茶店があるのですが、これもヒューマンスケールかと思いました。国際通りの奥にはカラフルなパラソルと何とも言えない机があるパラソル通りという場所がありまして、両側の店の勢いも空間の佇まいもすごく好きで、これもヒューマンスケールだなと思いました。

ヒューマンスケールの魅力を掛け算的に捉えています。仮にヒューマンスケールの対義語がビッグスケールだとして、そのスケールの軸と厳しいルール、寛容なルールというルールの軸の2軸があるとしたら、 ヒューマンスケールであることに加えてそれを使いこなせるルールがあることによって素敵な空間になると思います。 それぞれのお店が道路空間を使っていいというルールがあることが、ヒューマンスケールというスケールを生かせる一番のポイントじゃないかなと考えました。

豊田市のペデストリアンデッキはどちらかというとビッグスケールですが、社会実験の時にテーブルや椅子、コンテナで飲食スペースなどを設えると人が寄り付ける場所になりました。既存の場所でも、運営者の工夫次第でヒューマンスケールが生み出されると感じています。

岸本しおりさん(写真右)

東京の中目黒のドンキホーテの通路が花見の時期だけ桟敷席になっていてとてもいい空間に変わります。使いこなすために見立てる力がヒューマンスケールに求められるのではと思いました。大阪の難波駅前では、元々車道だったところを歩行者空間にした上で広場化する工事の真っただ中で、ある意味で無秩序な状態なのですが、路上ライブが盛んにおこなわれています。お互いにすごく近い距離で、爆音でお互いに歌い合って、お互いに干渉し合っているような状況です。これは、寛容な空間だけど気持ちいい空間かと言われると、違うよなと。ヒューマンスケールというのは、秩序を作ることによって生まれるという一面もあるのではないかと思います。

寛容さと秩序のどちらかだけでもなく、両方がいい塩梅になるというところが、気持ち良いまちになっていくポイントになるのではないかと感じています。ヒューマンスケールというのは、使いこなしを支える基盤的側面がかなり強くて、サンキタ通りみたいに、最初から使いこなすための空間が作られている方が使いやすいということは当たり前です。そういった基盤として、ヒューマンスケールを捉えていくということが重要だと思っています。

あとは、街にとっての、ヒューマンスケールの良さってなんだろうと考えると、「ここにいていいよ」という意思表示で、「自由に使っていいよ」ということを表す1つのツールがヒューマンスケールではないかなというのが、今回のお題をいただいて考えた内容です。

話題提供:栗山

サンキタ通りでのヒューマンスケールを考えてみます。以前の車道空間には常時車が通っていたのですが、現在は、9時から17時の間は搬出入車両が出入りするものの夜は歩行者天国になっていて、安全性が増したというのが1つの整備後の効果のひとつです。車が少ない、もしくは来ないという安心感があります。

そして歩行者利便増進道路(ほこみち)制度を使って利便増進誘導区域を指定してサンキタ通りがより積極的に使われるようになっています。交通量調査によると若者と女性が増えたという結果が出たそうです。

空間の特徴としては、「官民境界を目立たせないデザイン」が挙げられます。道路の車道と歩道をフラットにして舗装の仕上げを同じにしていて、狭い雰囲気だったのが広い雰囲気に変わりました。

栗山尚子さん(写真左)

サンキタ通りの再整備に関して言えば、高架という空間の条件を変えられないので、結局は、ファサードデザインと店舗の内容が大きく変わりました。店舗の選択肢が増えることによって「ここ行こうかな、あそこ行こうかな」と通りの中でいろいろな場所を歩く可能性が高まります。店舗の選択肢が増えたことで、いろいろな人が行きかうヒューマンスケールの景色を生み出し、高架下とサンキタ通りの魅力が高まったと思います。

それと、店舗のファサードとその周辺の公共空間について景観デザインコードが設定されていないように思いますので、店舗の裁量で、どのような机や椅子を、店舗前の空間に設置するかを決めていると推測します。

 寒くなると、こたつを出すようなお店も出てくるなど、店舗それぞれが自分の店のテイストに合うようなしつらえを表現しています。そんな多様なデザインが、魅力の1つだと思います。

他には新旧のギャップですね。サンキタ通り沿いのお店は、ほぼほぼ入れ替わって雰囲気はガラッと変わりました。一方で南側の高架下は昔ながらのお店が営業を続けている印象です。開発して間もない先端的な感じと、昔ながらの神戸の雰囲気との新旧のギャップも魅力だと思います。

景観の良さは統一感といった言葉で表現されることが多いんですが、ここは、雑多や多様な印象から生み出される面白さがこの駅周辺の魅力なんだと感じています。

ある日サンキタ通りで開催されていたイベントでは歩行者天国化された車道部分でDJブースが設置され、DJとダンサーが場を盛り上げていてクラブ空間が都市に表出したような雰囲気でした。車道に机と椅子が複数設置され、お店の方が注文を聞きにくるような感じだったようです。こんな風に、車道に机と椅子を設置するのは、一般的にはあり得ないことです。道路がイベント会場になっていて、友達とお喋りしたり音楽を聞いたりできる楽しい場所になり、非日常の新体験ができることは前はなかった。開発された空間が歩行者天国化され、さらに運営者が頑張ったことで実現された成果です。

ヒューマンスケール絡めた、この空間の魅力は、「五感に訴える」から生まれているのではないかと思っています。外部空間で座っていたら、音楽が聞こえてきたり、歩いている人やとどまっている人が視野に入ります。ヒューマンスケールだからこそ、五感を刺激されるいろんな魅力が増えてきているんだろうなという風に思います。

あとは、サンキタ通りの東側のさんきたアモーレ広場から西端の横断歩道までが300メートルぐらいです。ということは、時間にすると5分もかからない距離なので、プラプラしてもいいしちょっとどこかでお茶してもいいし、全然苦なく歩けます。

話題提供:村上

都市史の研究をしている立場から、三宮の歴史と、そこに現れたり消えたりしたヒューマンスケールの活動を紹介します。

村上しほりさん(写真中央)

三宮には、阪急、阪神、JRの鉄道3線が集まり、地下鉄やポートライナーも接続していることが大きな特徴です。神戸市は明治22年に小さな市域で成立して、合併を繰り返して大きくなりました。三宮というエリアは大正期までは市街地の周縁でしたが、昭和初期に鉄道3駅が高架化と地下化によって成立し、戦後にかけて「新開地」的に発展していった性格がありました。明治末期から戦前までに宅地開発が行われましたが、貿易や居住がメインの性格でした。現在のように圧倒的に商業優位になっていくのは、戦後の場所の経験に影響を受けています。戦時に建物疎開や戦災があって、その跡に闇市が生まれる。その隣では占領軍が土地を接収する、という混乱期を経て、高度成長期に区画整理や再開発が進んでいきました。

歴史的には、三宮の場所性が失われていったのは、占領軍の接収が契機だと言えます。フラワーロードから東側の生田川の間は、戦前から現在に至るまで、街区の形状がほとんど変わりません。これは、新道開鑿事業という地主による土地区画整理によって、明治期に整備されたものです。その区域のうち国道2号線以南が丸ごと接収されて、占領軍のイーストキャンプになりました。

かつては、現在の神戸阪急の南側に、フラワーロードから生田川まで764メートルも続く小野中道商店街があり、三宮の商店街というとここという場所でした。生田川の東側からも工場労働者や地域住民が集まってくる商店街でした。特筆すべきは、毎日、日没から午後11時まで、商店の前に夜店を出していたことです。戦後三宮に闇市という露店群が現れたと語られますが、戦前すでに、夜店を毎日やるという営業形態の商店街があったわけです。神戸で映画館や劇場といった庶民の娯楽といえば湊川新開地と認識されていますが、実は三宮にも小野中道商店街のようなエリアがあったというのは面白いです。この商店街は戦時に建物疎開の対象になり、さらに1945年3月と6月の空襲で広域に焼けてしまいました。しかも、戦後は多数の占領軍兵士を生活させるために、市域で最も広域に接収されたイーストキャンプになりました。1945年末に小野中道商店街の東西の範囲から南側全部が接収され、住民は立ち退き命令に遭い、それぞれに移転をして、ここにあった場所性がリセットされたわけです。その後、接収解除されて返還された後には現在のようなオフィス街になりました。

この一帯には近年まで「住む」という要素が失われたままで、三宮でヒューマンスケールが失われた場所として、真っ先に思い浮かびました。2010年以降にタワマンが増えましたが、現在は規制がかけられました。このように、三宮は居住を優先する地域ではない方向に、占領期を契機に進んできたと思います。

また、三宮の西側に目を向けると、戦前には遊歩道としての駅前街路が三宮駅の南側を東西に延びていました。戦後にはその街路の中央に闇市が発生しました。もともと屋台や露店がひしめいたのが建築として本設されていきましたが、占領軍に認められず1946年夏に撤去されました。ただし、その後も拡幅されることなく1960年代までは現在の半分以下の幅員の道路でした。戦前には市電の軌道も通っておらず、「人が歩くための道」という性質が、昭和初期の高架化から1960年代まで続いたと言えます。その後、高度化を目的とした再開発によって、この道路やフラワーロードの幅員は2~3倍に拡がりました。

道路拡幅によって生まれた歩道をどうコントロールするかと考えた結果、フラワーロードには花と緑と多数の彫刻が配されました。それは結局、戦後にできた闇市をすべて撤去して、再開発で道路を広げてという流れを受けた、戦後神戸の道づくりの帰結かと思います。2015年以降、都心再整備でウォーカブルなまちづくりに向かうなかで、居心地のいいまちにしようと考えて、「座る」という行為の復権が出てきました。結局、戦前に回帰していくような道路のあり方が見られます。

葺合南54号線に始まって、神戸パークレットやサンキタ通りとEKIZOなど一連の三宮再整備事業は「人中心のストリート」を謳っていますが、この「人」って誰のことなのだろうと思います。地域住民に利用されているのかなという点に引っかかりがあります。歩行者が増えても、通過交通に過ぎない側面もありますし、「いくら綺麗に整備されても、道端に座って飲み食いするか?」という声も結構聞きます。観光客であれば、座るところがあれば楽しんで利用するかもしれませんが、現状はその道に座りたいのではなく、どこかに行く合間の休憩場所にちょうどいい感覚が勝っているように見えます。

また、飲食店の屋外営業への展開というのはEKIZO北側に見られます。整備された道路も従前よりは良くなりましたが、向かいの景観整備もしないと、オープンカフェよりも店内を選びたくなります。

最後に、先ほども触れた「花と緑と彫刻と」を謳ったかつての街路整備は、これからの歩行者の憩いや賑わい空間を整備していくことと、どのように関係を取り結んでいくのか疑問を持っています。たとえば、沿道活用や賑わいのにじみ出しが展開すれば、野外彫刻は邪魔にならないのかなと思います。フラワーロード北側の歩道では、ベンチに路上生活者もいます。長年そこにいらっしゃる方も見かけます。まさか単なる排除を繰り返すことはないと思いたいが、これから以前よりその場所にある存在を、今後のにぎわい空間整備においてどう捉えていくのか。そして、そこでイメージされている「人」とは何なのだろうという点が大いに気になっています。

2.トーク

それぞれがお互いの話題提供を聞きながら書き留めたメモ(※)を俯瞰できるよう貼り出し ※カード・ダイアローグを活用

村上:サンキタ広場が整備されてしばらく経ちますが、ほぼ地べたに若い子が座って過ごしています。あれをどう見られますか?

栗山:地べたに座ることに私は抵抗があります。私の研究室の院生が実施したさんきたアモーレ広場の研究では、若い人は低いところに座る傾向があるという結果が出ていました。やはりそこは抵抗感の違いでしょうね。年代の差があるのかもしれません。外部テラス席に座るのは、眺めが美しい方が落ち着きはしますけど、サンキタ通りの北側の面的な再開発が難しいため、落ち着きのある眺めを生み出すのは難しいでしょう。

村上:サンキタ通りの向かいはペンシルビルばかりですね。

栗山:私はそれも三宮駅前の風景だなと思っています。

村上:三宮駅前よりも南の三宮中央通りのパークレットなどは、周辺のまちなみが落ち着いているので、道路整備が最新の状況でなくても、ちょっと座ろうかなと思える空間にはなっていますよね。

岸本:ヒューマンスケール、寛容性、利用者の勢いの関係性が気になっています。その場所にいる人に勢いがあれば、別に計画上ヒューマンスケールになっていなくても、ヒューマンスケールらしさが自ずと現れると思いました。さきほど話題に上がった路上に座っちゃうとか大阪の天満駅周辺で店が勝手に路上に張り出してきちゃうとかは、ある意味、お行儀が悪い人がいるところこそ、ヒューマンスケールらしさとなって表出するのかな、と思いました。

村上:そもそも、街路上に展開する露店の文化は近世から続いてきたもので、法規制や排除アートなどで公共空間がコントロールされているから勝手に出現しないだけですよね。だから、規制緩和されたら、路上で何か活動したり店を張り出したりする人も出てくる。そういうものですよね。

栗山:「野性のヒューマンスケール」でしょうか。

岸本:そうですね。サンキタ通りとか、あとグランフロント大阪や屋台的要素を取り入れた心斎橋パルコのフードコートでは、言わば開発的ヒューマンスケールが実現されていると言えますが、野性のヒューマンスケールを超えられるのか、という点は気になっています。空間としてはヒューマンスケールなんですが、マインドとしてはヒューマンスケールなのかと。野性のヒューマンスケールでは、1つ1つが違うお店で、それぞれ個性が出ていてそれが楽しいのであって。

栗山:昼間は物販をしているけれど、日が暮れると飲食や雑貨屋に変わる、そういうのって面白いと思います。「昼はちゃんとしよう」という姿勢でいて夜は一本ネジが抜けてちょっと違う感じになる、そういうのを許容してくれる空間がもしかしたら人間らしい魅力的な空間なのかもしれない。

村上:夜にしか開かない店があるのと、屋外であることのどちらがヒューマンスケールの発生に繋がっているのでしょう?

岸本:予定調和でない出会いみたいも重要と思っています。昨日会ったのに今日いないかもしれないし、今日来たら違う店になっているかもしれない。その不確定さ。テラス席は外で座っていて、うっかり知り合いが通って、「あ、久しぶり!」みたいな予定できないことがポジティブに起きてくのが楽しいと思う。そういったところが、路上的な、街的な楽しさかなと思うんです。路上をはじめ街のいろんなところで勝手にスナックをする「旅するスナックしおり」っていう趣味を持っていて、姫路の大手前通りでやったんですけど、通りがかりの人が「なんか面白いことやってんね~。」とやってきてガブガブ飲んで帰っていくんですよね。寛容度の高いヒューマンスケールな面白さがあります。

村上:ヒューマンスケールと人間らしさは同義語的に扱われていますね。

岸本:どう思われますか?

栗山:スケールと付いてしまう以上、私はヒューマンスケールに対しては寸法を思い浮かべます。
ですので、ヒューマンスケールには人々のアクティビティというよりは、見える範囲とか、囲まれ感とか、五感に紐づくイメージが結びついています。予定調和でない出会いとか、ちょっとはめを外すとかは、スケールというよりは、人間の本能的な部分を指していると思います。

村上:そうですね。規模やサイズ感が小さければヒューマンスケールが実現するのかというと、そういう話でもないとは思います。人の集まり具合にも左右されていますし。小さいお店でも回転率が高いと十分なコミュニケーションは生じず、ゆっくりできない場合もあります。長居できるという意味では、外にいると開放的な気分になるとは思います。お店の中に入っているとある程度時間を過ごしたら出ないといけない暗黙のルールを感じるから、外の方が滞在時間の制約から自由でいられて居心地がいいのかもしれません。

栗山:密度の話ですね。お金を払わずに楽しめる空間って、サンキタ広場しかないんですよね。サンキタ通りではお金を払わないとテラス席は使えない。本当は、通り内、つまり公共空間に、滞留できる場があるといいですよね。

村上:サンキタ通りは民間敷地で、テナントが入って売り上げを上げることで賑わいを生み出す必要があるので、仕方ない部分はあります。

岸本:他の都市の駅前でお金払わず自由に座っていいよって空間ってなかなかないですよね。

栗山:姫路はどうですか?

岸本:姫路の駅前広場はそうですね。

村上:姫路の大手前通りの方が寛容性は高いですよね。その割にはコントロールできているようにも見える。これはなぜでしょうかね。

栗山:密度でしょうか?

トークの様子

岸本:三宮や大阪だとどうしても開発圧力の方が勝ってしまうから、姫路ぐらいの密度がちょうどいいのかなって思いました。

編委:ヒューマンスケールが結局人の多様性、雑多性に依るのではないかという話は、すごく聞いていて納得したところです。多様性で言えば、来街者だけでなく地域住民の方にとってはどうなんでしょうか。住んでらっしゃる方にとって三宮周辺のヒューマンスケールを捉えたらいいでしょうか。
もう1点、多様性・雑多性とそれを支えるカルチャーを育て民間事業者や商店街をはじめそこで商売されている方たちによるところが大きいと思うんですが、そういう方が持っている組織性についてぜひ話していただければと思います。

岸本:ヒューマンスケールのスケールに、時間軸も入っていると考えると面白いかなと思いました。
時間もスケールのひとつで、多様な時間のあり方を捉えられるといいなと。どんな時間を過ごすか、長く過ごすとか。

栗山:住民にとってのヒューマンスケールって、どんなものなのでしょう。

村上:そこに住んでいる方からすると逆に、車で生活していたのに車道が狭くなって一方通行になって、歩道にはたくさんの人が座っている、それを非常に嫌だという人たちもいますね。近くに住んでいるのか、訪れるのかで経験の質は変わるので、行った先での過ごし方と、顔が見える、その地域住民としての関係を持って過ごしている人とを同じものと考えてはいけないと思います。

栗山:駅前にこうして賑やかな新しい店舗や空間がいっぱいできて、住民がこれいいねって思うかというと、そうでもないですよね。毎日お金を払ってご飯食べにお店に行くわけじゃないので。

村上:三宮の西側の話になりますが、閉業した元町高架下が再開発されています。昨夏、テナントが退去して再開発を待つところに、過渡的な賑わいが持ち込まれました。アートと音楽のイベントに飲食営業が期間限定で行われ、テナントが退去した跡地の衛生面に不安がある場所で飲み食いするのは気にならないのかしらと見ていて思いました。でも、それが気にならない、近くに住んでいない人たちは集まっていましたね。

栗山:非日常で楽しいってことですよね。

村上:そうです。だから、仕掛ける側からすると、それを是とする人たちの数がどれぐらいあるのかが結局のところ問われているわけです。否定的に見ている地域住民の声は、基本的には必要とされていないのだろうと、傍から見ていると思います。

栗山:特に商業に特化した空間とそうなってしまいがちかな。

村上:そうですね。売れるかどうか、人が来るかどうかが優先されますよね。

岸本:すごく難しい話題です。都会に住むことに対する住み手としての心構えは、ある程度必要なんじゃないかなとは思っています。大都会の一等地のタワマンに移り住んだ人が、その足もとの広場で長年開催されているイベントに対してうるさいと苦情を出してイベントが無くなるというのはちょっと違いますよね。度がすぎたらダメですけど、都会に住むというのは、そういう賑わいと両隣にありながら生きるっていうことだから、そこをちゃんと理解しながらお互いに寛容さをもってやっていくことが求められるはずです。実際はめちゃくちゃ難しいけれど。どこでも苦情言われますもんね。

村上:戦後三宮の土地柄を振り返ると、商売をしてきたのは、住まいがもう都心から離れた人たちなので、現在の関係性でてはオーナーになりますよね。以前はセンター街でも愛着のある人たちが近くに住みながら営業していたけれど、もう誰も住んでいるわけではないし、いまやテナントも別なので、稼ぐための土地に変わってしまいましたね。

編委:なぜ住まなくなったんでしょうか。

村上:都市計画です。防災街区の設定を含めて商業と居住を分けて用途地域をはっきりさせる、職住分離の動きが再開発と一体にあって、ビルに店舗が入り、住居は宅地開発の進んだ西区などに移った。高度化の結果ですよね。ただ、1周回ってやっぱり都心に住みたいよねという傾向が、近年のタワマン需要になった。とはいえ、タワマンに住むのは元からここにいた人たちではない。

岸本:神戸は行政が主導するかたちでしっかり予算を充てていますよね。大阪は民間主導が前提なので、その点においては羨ましいと思います。

村上:それは、大阪には力のある民間が多いからという見方もできます。

栗山:まず行政が旗を振って、それに関わろうとする人たちがやる気を出して、自律的に進んでいくのが理想的だと思います。自律性があれば、自然と多様性が生まれる気がします。それぞれが「ああしたい、こうしたい」と欲望というか、希望が出てきますから。

村上:三宮のような都心の商業では基本的にはオーナーとテナントが別になっているので、多様性を支えるためにも、結局誰かがコントロールしないといけない。それは、もう現代的には必須ですよね。

岸本:運営者であるテナントのマインドが結構大切です。同じ空間でも全然見え方が変わってきます。どこまで受け入れて排除しないかっていうところのラインの引き方によってその場で起こることが変わってくるので、覚悟がいりますが。

編委:その都市ならではなヒューマンスケールとかウォーカブルを計画する際に大切な視点について、どうお考えですか?

トークの様子

村上:テラス席を前提とすれば、沿道店舗は飲食店ばっかりになりますよね。

岸本:もう少し野性を取り戻さないといけないんじゃないでしょうか。私たちの使いこなしの力が弱っているから今あるようなものしか実現できていないので、もう少し外を使って自分からしかけていくことができるようになったら発展していくのではないでしょうか。

村上:現在あらわれている使いこなし以上に、路上を使おうと悩んできた例は歴史的にはないのではと思います。何のために路上で活動するのかという目的が大事です。ヒューマンスケールの活動を達成するために何かやっているわけではないはず。本来はやりたいことへの野性的な衝動がある人たちがいて、何か路上で事が起こるという順序だと思うんです。ただ、多くの人がいる公共空間で何かしようとする、その意味を考えてみてもよいと思います。だって、別に公園でいいじゃないですか。住宅街の静かな公園では子供たちが踊ったり、TikTok撮ったりしていますよ。別にそれでいいのに、わざわざ都心の人が多いところに出てきて場所を使おうとする意味はどこにあるのでしょうか。

岸本:やる側にとっては見られたいんでしょうね。

栗山:ミュージシャンとダンサーにとっては見てもらいたいですよね。一方で、飲み食いは別に見てもらわなくていい。ただ外の空気に触れたいということでしょうか。

村上:外で飲み食いする雰囲気は楽しいですね。いろんな人が通っていて、店の中にいるよりは動きが感じられますから。東遊園地にできた飲食店の外席と、人通りの多いサンキタ通りの外席のどちらが快適なんでしょうかね。

栗山:状況によりますよね。例えば、子どもを連れているなら東遊園地がいいよねと思うかもしれないですし、 お酒が飲んで楽しみたいならサンキタ通りのザワザワした感じの方が好きかもしれません。

岸本:それを選べるのが大切じゃないでしょうか。近い距離でいろんなメニューがある。

栗山: 海外では経済効果があるという理由でテラス化を前提とした規制が掛かっています。メルボルンなどオーストラリアの都市ではホスピタリティビジネスと言って外席を増やして売り上げが増えることを是としたガイドラインになっています。経済部局の所管です。

岸本:ニューヨークでは、コロナの政策の一環として、オープンレストランという取り組みがありました。日本のような営業保証金が出ない代わりに、座席数を広げる支援策でした。結構みんな自由なデザインになっていて、おしゃれなエリアは良い雰囲気のスペースが並んでいて、個性の連なりになっていました。

村上:やはり個が見えるというのがいいのかもしれませんね。

岸本:個性というか、それを期待しちゃいますね。

村上:三宮のサウスストリートに、震災前に開業して、テラス席を設けたマザームーンカフェという神戸のカフェブームの走りと言えるお店があって、今もよく待ちの列ができています。路面店舗が居心地のよい店舗デザインのビジョンを持って仕掛けているから、30年経っても人が集まるんだと思います。お店が自主的に取り組むことの意味を感じます。話は逆行しますけど、こんな例に立ち返ると、道路上でなくてもいいのではないかなとも思います。大事なのは路面であることかもしれません。

編委:商業集積がないエリアでプランナーやデザイナーがヒューマンスケールを生み出す方法について考えがあればお聞かせください。

栗山:実現してるところはあると思います。市場とか商店街の空き店舗の利活用とかもそうです。

村上:菜園を作ってみるなどの事例は神戸でも多いです。例えば、商店街なら空いている区画で、商店主たちがみんなで何かやるという活動をヒューマンスケールと捉えることもできます。かっこよいデザインではないかもしれませんが、活動そのものには、大きな意義がありますよね。多くの主体でその身体感覚を伴って経験するというところに、ヒューマンスケールの本質もあるのではないかと思います。

岸本:ヒューマンスケール的空間というのは、そのエリアの人たちの暮らし方が表出していることが大切なのであって、スケールはその表出が起こりやすくなるための装置と捉えられますよね。だから三宮だったら飲食店になるし、湊川だったら将棋打つ男性グループになる。

村上:湊川公園は戦前から露天商が集まる場所で、年に1回大締めが行われていました。使い方としては、あの場所で続いている賭け将棋は歴史的営みのようにも見えます。その横で、ふわふわドームで子どもが跳びはねている光景と共存しているのが新しい。公園はこうした自由な活動を支える場所であるべきですよね。

編委:ヒューマンスケールのスケールとは何のスケールでしょうか。

栗山:まずは空間的スケールの意味で捉えられますね。

村上:アクティビティのスケールと言い出すと、人間が行うことはすべて当てはまりますから、定義のしようがなくなりますよね。

岸本:ヒューマンスケールは単語の構成だけを見るなら人間的尺度と言えますが、まちにおけるヒューマンスケールと補足すると多様性という意味合いが出てくると思っています。ベンチは人が座るという人間的尺度を前提にデザインされていますが、まちにベンチを置くことがヒューマンスケールではない。そこで過ごす時間とか、活動とか、そういう幅広い意味をヒューマンスケールっていう言葉が持っているということなのかなと話を聞きながら思いました。

トークを終えて記念撮影(左から岸本しおりさん、村上しほりさん、栗山尚子さん)

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