プロジェクトトーキング01_水都大阪

Vol.36対談・鼎談
関西支部だより+ 36号(2022年5月版)  
テーマ:水都大阪(大阪市)
山崎嵩拓さん(神戸芸術工科大学)
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絹原一寛さん(㈱地域計画建築研究所)
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武田重昭さん(大阪府立大学)

日時:2021年12月22日 場所:㈱地域計画建築研究所大阪事務所
主催:都市計画学会関西支部編集広報委員会

■企画趣旨の説明(編集広報委員会より)

まちづくりプロジェクトの批評の場をつくる
関西のまちづくりのプロジェクト・事例を回ごとにひとつ取り上げ、そのすぐれた点や興味深い事象を「独自」の切り口で評するレビュー・トークセッション

編委:この「プロジェクト・トーキング」は、関西のまちづくりプロジェクトの批評の場を設けたいという思いで立ち上がった企画ですが、まちづくりプロジェクトそのものへの評価や批判といった「プロジェクトの良し悪し」ではなく、まちづくりプロジェクトを介した批評者同士の「トーク」を主要な目的としています。

 ここでは「批評者」は「話者」と呼ばれます。話者は、テーマとして設定されたまちづくりプロジェクトに対する着眼や解釈を他の話者に話題提供し、それを起点に話者間で掘り下げを行っていただくことで、当該まちづくりプロジェクトの新たな価値が浮かび上がります。さらには、話者の内なる見識や哲学が表に出て交わりあうことによって、(記録の読者も含めて)互いに学びを高めあい、新たな理念や仮説が立ち上がることも合わせて期待されます。

 第1回となる今回は、「水都大阪」をテーマとし、山崎嵩拓さん、絹原一寛さん、武田重昭さんにお集まりいただきました。では、よろしくお願いします。

1.話題提供

話題提供:山崎

タクティカルアーバニズム

 今回は、編著者として関わった「タクティカルアーバニズム(学芸出版社:https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761527693/)」の話をしようと思います。アメリカでのサブタイトルが、「ショートタイムアクション,ロングタイムチェンジ」。小さいアクションから大きく都市を変えることを主眼に置いています。

タクティカルアーバニズムの書影

 以前、タクティカルアーバニズムについて、「都市計画が解決できていなかった課題を結局は解決できていない」、「新しい動きを作っている点で評価するが、オルタナティブというのであれば、何の課題を解決したのか?」というご意見をいただいたことがあります。

 タクティカルアーバニズムのアイデアはアメリカのマイアミから生まれているのですが、マイアミは交通手段の85%を自動車が占めています。タクティカルアーバニズムによる街路空間の活用が、自動車社会に対する問いかけになっているのです。一方、日本の三大都市圏を見ると、公共交通の分担率が高く自動車は3割です。元々歩く文化があるため、街路空間を活用しただけでは、アメリカのように問いに応えられていないのかもしれません。

 一方で日本の場合は、いわゆる行政の縦割りや、市民の声がどうしたら届くのかという構造的な問いに応えているとも読み取れます。他の先進国と比べ、日本の行政は優秀であると評価されていますが、国民の発言力やそれに対する説明責任の観点から見ると低い水準です。国民の声が届きにくい構造が日本の行政が抱える課題と設定したうえで、水都大阪を見てみようと思います。

山崎嵩拓さん(右)

公民連携のあり方

 書籍にとりあげる事例を考えたとき、水都大阪は欠かせませんでした。そもそもタクティカルアーバニズム自体は市民によるゲリラ的な活動であって、日本のような行政が介入する、もしくは行政が主体となって行う社会実験は、他の国ではタクティカルアーバニズムと言われない。これが日本のタクティカルアーバニズムの特徴です。水都大阪のようなゲリラ的なアクションと公民連携アクションの2つを兼ね備えている取り組みは日本的なタクティカルアーバニズムを象徴しうるのではないかという考えのもと掲載しました。

 実際、北浜テラス(https://www.osakakawayuka.com/)はもともとゲリラ的な動きだったのが、途中で府から国に働きかけを行うことで、実際の河川占有を勝ち取っていくプロセスがあったとお聞きしました。このように,様々なゲリラ的な活動が「水都大阪」というパッケージの中で経済界や行政とタッグを組むことによって大きなうねりになることが、市民それぞれの発言力として捉えられ、うまく水辺のまちというブランディングになっていると感じました。

北浜テラス

 冒頭の問いかけに立ち戻ると,市民の声が届きにくい,拾いにくいという日本の課題に対して,大阪はゲリラ的なアクションに行政が介入するという新しい形によって、水都大阪という一つの大きな動きにできているのではないかと考えるに至りました。これが日本版のタクティカルアーバニズムの概念と捉えるというのはいかがでしょうか。

話題提供:絹原

<生活の場としての河川>

 大阪都心部をロの字に繋ぐ水の回廊に最盛期には15艘ほどあった牡蠣船が、今は淀屋橋の一隻が残るだけだという話を新聞で読みました。もともと川の上は商いの場であり、世俗の場であり、そういう風景として牡蠣船は浮世絵にも描かれていました。水辺も道路も街路も官や民の厳密な境界線はなく、商いとして使われ生業がそこにある、「都市の自由空間」的な生きた景観の舞台だったのだと思いました。本来水辺は商売や浜芝居、天神祭り等の文化や生業の場として庶民が普通に使いこなしていたのだなと記事を見て思いました。

 20世紀後半では,治水という視点で河川はかなり固く整備されてきました。水辺は市民から遠ざけられ、だれも注目しなくなっていました。そこにゲリラ的な動きで風穴を開けていったのが水都大阪の功績だと思います。民が主導で行政を動かしていったのが非常に大きいと思います。

絹原一寛さん(左)

<行政の関わり方>

 民間の資本投資が中心のまちでは行政の顔が全然見えてきません。ですが、仕組みを作るには行政が出てこないといけない。そう考えると大阪ではそれができている。民と官が意思疎通して一体感を作ることがとても大事だと思っています。

 道路一つ使うとしても行政の力があるのとないのとでは全く進み具合が違います。河川も同じです。一方で、行政から動くかというとそうではないので、行政が音頭を取りつつ民が風穴を空けていろんな実践が集まる、さらに、それが行政の都市魅力戦略として位置づけられるというように、実践と戦略がぐるぐる回って行ったり来たりしている水都大阪の様子を見て、すごく面白いなと思っています。

 水都大阪が「都市再生プロジェクト」に採択されたところから始まり、そこに民間のゲリラ的なムーブメントが乗っかり、道頓堀や八軒家浜のハード整備が乗っかり、さらに2009という大きなターンで花を開いて、河川占用許可の準則緩和につながっていきました。さらに、「水と光」という形で拡張されて、水都大阪パートナーズ・水都大阪オーソリティという官民組織ができてという、このかみ合わせが当時はすごく画期的なことだったと思います。民だけでもできなかったし行政だけでもできなかった。

八軒家浜の様子

<市民参加のデザイン>

 今後は、市民参加をどうデザインするか、どう発展させるかが課題だと思っています。私たちが取り組んでいるまちづくりと少し重なるところがあります。計画を作ったりプロジェクトを起こしたりしていく参加のデザインから、より民間事業者を巻き込んでサービスを受けながら行う参加のデザインに進んだ先にある市民の参加を考えないといけない。ともすれば、拠点や店舗ができて、サービスを受けるだけになるので、「わたしもやりたい!」をどんどん生み出していく仕組みがいるのかなと思っています。

<推進組織のあり方>

 水都大阪は2001年から始まりましたが、10年20年持続させるのはどうしたらいいのだろうと思っています。ゲリラ的なムーブメントが公的なフェスティバルイベントになり、常設化がすすめられ、官民組織を作って、いま水都大阪コンソーシアムという形態になったところですが、この先は何なのだろうかと思います。

 事業体としてもどんどん変わっていかないといけないし、政策の方のアップデートが必要だと思います。今観光という視点で「水と光」のまちづくりをしていますが、コロナで水辺のオープンスペースの貴重さが認識されたので、改めて戦略を立てないといけないと思います。パリの15分都市のように、日常生活の中の水辺という視点が注目されています。

<都市再生の方法論>

 いまだに都市再生って容積緩和ぐらいしかできることがなくて、もっと新しい方法がいると思っています。準則などの規制緩和で民間の利活用のハードルを低くしていくことが挙げられますが、もう少し先の都市再生の方法論とは何があるのか考えています。水都大阪を基軸に都市再生の方法論が生み出せるのではないでしょうか。

<水都をテーマとした世界的なムーブメント>

 最後に、水都の歴史を見ていると、大阪市のホームページに「国際水都会議」が存在していたとあり、第1回を大阪で1990年に開催しています(https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000030743.html)。釜山やアムステルダムなど水都に関わる世界の都市が集まって、大阪宣言が採択されています。このように、世界で連携する水都大阪がこの時期からあった、というのは、もっと評価していいのではないかと思います。

 今度のパリ五輪でセーヌ川が舞台になるという話もあって、60万人、160艘を浮かべるといわれています。大阪・関西万博もそのくらいの気概があってしかるべき機会だと思っています。世界への志を持ってこの水都を発信していくことができないかと思います。そのヒントが、「国際水都会議」のような枠組みで議論する場面があって、世界中の都市で宣言を採択して、「水都は国家戦略の基軸だ!」みたいなメッセージを発信するようなことを政治的に起こしていけばよいのではないか、と思いました。

話題提供:武田

<光景と情景,共同>

 光景と情景を分けて考えるのがいいのではと思っています。一般的にはイベントなど使い方を見せることを先にやってそれが日常に根付いていくこと、要は光景を見せて情景を作っていくんだと思います。しかし、水都大阪では逆のパターンもあったと思います

 平野啓一郎という作家さんは、恋愛を恋と愛に分けて考えるといいんじゃないかと言っています。まだ結ばれない2人が結ばれることを思う激しい感情である恋と、すでに結ばれたことを継続させる愛の両方が大事だと言っています。都市も同じだと思っていて、光景だけでは疲れる。両方ないと魅力が持続しないのですが、水都大阪にはどちらもあります。

 大阪が「パリみたい」な魅力的なまちになればいいと思います。ジョルジュ・スーラという画家のパリの絵には都市の賑わいの中にある、人々の孤独が描き出されています。暮らしの質が高い、本当の意味で人生とともにある水都を今後は期待したいと思っています。

 「協働」というのは、同じ目的のために力を合わせて働くことで、「協働」では個人には必ず能力や技術があって、チームの一員であり責任が生じるという少し重たい部分があります。一方、共同浴場の「共同」は、皆で風呂に入るという一つのミッションを果たすために風呂屋に来ているわけではありません。なんとなく最低限のマナーがあって、何かしらの連帯があって、風呂屋にみんなでいると何となく友達になる。これからのまちには、こんな「共同」もあると良いなと思います。

武田重昭さん(右)

<大阪人の総体としての大阪>

 そのまちに集まっている人がそのまちの景観や魅力、仕事を作っているので、総体として人の性格や個性が都市に透けると思うのですが、大阪はそれがより強く出ているのではないかと思っています。

 中島直人先生が「アーバニスト」(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074379/)というとても素敵な本を書かれました。「専門家としてのアーバニスト以外に、生活者としてのアーバニストという定義がある。その両輪が重要だ」と。その意味では、大阪のおばちゃんはアーバニストっぽくて、まちをすごく使いこなしているし、まちに働きかけています。まちを身近にあるものとしてとらえているのが良いと思います。

 私個人としても、「大阪」に育ててもらったという感覚があります。それは「大阪にいる人たちとその環境に育ててもらった」と思っている、ということです。これは大切にしたい感覚です。最近どの行政でもシビックプライドが大事だといいますが、シビックプライドを持つことで都市やそこにいる人たちがどう良くなるのかが大事であって、そのような応答の関係が大阪にはあります。

 川辺でディナーを楽しんでいたら普通におばちゃんやおっちゃんたちが話しかけてくるし、いい場所を見つけて楽しもうとしているし、これをコロナの中でもやっているのがいいと思いました。水上ピクニックで、自ら焼き肉の道具を持ってきて水の上で焼いている人もいて、すごいなぁと。「大阪人のまち、大阪」というのが大阪の最大の魅力だと思います。

<ネットワーク化>

 絹原さんもおっしゃっていましたが、水都大阪が20年継続しているのってすごいなと思います。都市は生き物だと考えると、新陳代謝していきますが、水都大阪という概念を変えずに続けられたのがすごいと思います。いろんなところでいろんなことがいろんな主体で行われているのが水都大阪の特徴となっています。昔の「何とか祭り」とは違う概念の「イベント」が随分自然に根付いたのではないかと思います。

 水都大阪の取り組み当初は「水と光」と「花と緑」で懇話会ができていたのですが、いつの間にか「花と緑」がなくなってしまいました。ランドスケープの分野としては、今後は花と緑に目を向けたいと思っています。加えて、ネットワーク化です。個別の拠点整備はできたし、それを使いこなす人たちや民間主体はいるので、いかに協力し合えるかということです。水の回廊が全部つながるとすごく効果が大きくなると思うし、うめきたも動いているし、もう少し言うなら淀川までつながってもいいですね。大阪の戦災復興の時の計画図を見ると、ネットワーク化がすごく意識されています。東横堀川沿いに公園があり、江之子島もすべて公園、中之島の西側半分もすべて、北側も扇町公園までつながっています。扇町公園は当初の計画のように大きくはなりませんでしたが、うめきたはできるし、中之島も徐々につながっていて、上町台地の緑も保全されています。これらをすべてつないでいくことは、できないことはないと思えてきますし、これぐらい緑がつながったまちであるといいなと思います。

 原研哉さんの言葉で私が好きな言葉があるのですが、それが「ニーズは往々にしてルーズだ。ニーズを教育することがデザインだ」です。要は、デザインを示すのはニーズの質を上げていく作業でないと意味がないということです。このようなスタンスでプロジェクトが動いていくことが重要だと思います。

2.トーク

それぞれがお互いの話題提供を聞きながら書き留めたメモ(※)を俯瞰できるよう貼り出し ※カード・ダイアローグを活用

絹原:行政の介入が続かないケースもありますが、水都大阪は結構続いている事例だと思います。

武田:一方で、民間の動きが強くなりすぎると「反作用」という形で行政の介入が起こる恐れもあります。今まで着実にステップアップしてきましたがすべて「順調」という状態でもないと思います。確かに河川占用許可にかかる区域指定なども行政のはたらきかけで獲得した権利としてあるわけです。しかし、体制や予算はすごく流動的なものであり、固定化しないので、絶えず働きかけて関係し合い、変わっていかなければいけないと思います。それこそタクティカルアーバニズムの醍醐味であると思います。

絹原:やはり新陳代謝というか、次の担い手が出てくるようやっていかないといけないものですよね。

武田:そういう人間模様が、大阪の面白いところです。結構波乱万丈でド派手にやっているイメージです。それが都市の魅力ということなのかもしれませんね。何事も平凡でそつなく過ごす人生よりは。そのうねりはそもそもどうやってできたのでしょうか。

山崎:外から見ていると、ゲリラの集合体のように見えました。わからないなりに感じていたこととしては、そのゲリラを束ねるリーダーとなるような人がいたと思いますし、そのリーダーは行政といい関係を構築できていそうだと思いました。

絹原:タクティカルアーバニズムと持続性って何か言われているのですか。

山崎:出版に向けて議論していた当初、持続性がよく話題にあがりました。ただのイベントなのではないかという問いかけですよね。原著の本を読むと、大きな改革を目標としているかどうかが重要で、目標を据えたイベントはタクティカルアーバニズムである、ということです。ということは、写真だけでは判断できないけど、例えばパブリックライフを市民文化にしたいと掲げるイベントは、タクティカルアーバニズムととらえられるでしょう。

絹原:水都大阪では、振り返ってみると見事にうまくいっていますよね。タクティカルの動きとロングの変化がどっと来たというイメージがあります。

山崎:ロングタームチェンジがかなり起きてきていると思います。

絹原:行政も民間も多少入れ替わりはありますが、持続していることがすごいなと思います。

武田:ロングタームチェンジは水都大阪で言うと何でしょうか。これという計画があるわけでもないですよね。「水都」というワーディングがよかったのでしょうか。

山崎:すごいしっくり来ていますよね。

絹原:さっきのシビックプライドの話がありましたが、みんな琴線に触れているじゃないですか。

武田:若干のノスタルジーもあるし、未来志向もあるし。

トークの様子

山崎:タクティカルアーバニズムは、いかに長期的な目標を長期的に解くのではなくて、次の48時間で何ができるか、48日、48週間で何ができるか、ということを突き詰めていくスタイルです。あまり短期的なものを長期的に育てていくプロセスを手厚くサポートするアイデアではないかもしれません。そこに、タクティカルアーバニズムが概念として成長できるところがあるのかもしれないですね。

編委:最初はゲリラ活動だったが、公的な活動になると負荷がかかってゲリラが起こりにくくなると思います。では、ゲリラの活動を継続させながらも公的な活動を行うにはどうすればいいのでしょうか。

山崎:確かにゲリラ的なものを固定的に評価していくと、ある方向に収れんされることが考えられます。一方で水都大阪では、そのおおらかなキャッチフレーズのおかげで、いかなるゲリラも抱擁され、次なるゲリラも許容してくれているという側面もあると思います。

ゲリラ的にアクションする理由として2つの点をあげます。一つは、実際に周りの人々に見てもらうことで、駄目なアイデアに気づき、修正する判断が速いということです。二つ目は、やったことを評価できるということです。実際どんな効果をもたらしうるのかを評価し、その効果を市民や行政に見せることで、次のステップに進みやすいということです。ファーストステップから次のステップへの橋渡し的な意味があります。

武田:絹原さんも、市民の参画がもう一度いるのではないかと言われていましたが、ゲリラ活動がやりにくくなっている雰囲気がありますよね。もう一度やるのは大事だと思います。

絹原:方法論として、型にはめたり仕組み化したりするとうまくいかないと思います。

武田:そうですね。一つは、デンマークデザインセンター(https://ddc.dk/)みたいに社会実験をやることそのものが目的という組織を行政が作って、それを外部に出して、民間で社会実験をやる。それを実装するかは行政側で決めてもらうというのは、仕組みとしてあります。しかし、そういうことではなくて、もっと自発的な市民の動きがどのように起こってくるかということですよね。世代論をするとよくないですが、今の20代、30代が大阪をどう思っているのかということが次の大阪をつくるはずです。それが楽しいという世代もいるし、また違う楽しみ方があるという世代もある。今の20代にもそんな人もいると思います。その人がやりにくいと思っているのであれば、大きな課題ですよね。

絹原:水都大阪として築かれてきた方向性を曲げることを求められるという変なプレッシャーがありますしね。

山崎:確かにありますね。楽しいことを自発的にできるプラットフォームを作り、それをいかにネットワーク化していくかには、まだまだ試みの余地があると思います。

武田:ゲリラ的なことも横断するような方法論がいいですよね。

山崎:制度的には、社会実験を国の予算でサポートできるようになったので、追いついてきていると思います。水辺再生のまちづくりをどう住民の生活に波及させ、さらに不動産価値向上などに関連させるか、その仕組みをどうデザインするかが水都大阪の肝なんだと思っています。そこを頑張ると、大阪はもっと先に行けるのかもしれませんね。

編委:都市再生は行政施策であるので,行政がプレーヤーになりますが、ゲリラ的な動きは、民間だけにしかできないのでしょうか、行政もタクティシャンになれるのでしょうか。

山崎:日本以外の国で議論されているタクティカルアーバニズムでは、行政はタクティシャンになりえてないと思います。ただ、日本では社会実験を行政が主催する動きが出ていて、私が知る限りでは、これは日本の特異的な動きだと思います。その意味では、日本においては行政もタクティシャンになりえている側面もあります。

 一方で、行政が社会実験をしていることが、その後、どうつながっていくのかとか、より良い都市空間とか、市民生活につながっていくのかという検証は、まだできていません。

武田: 制度や空間を変える「きっかけ」づくりは市民主導だということですか。

山崎:本を出版するときに議論していたのは、関与する主体のあり方です。公民連携という型で社会実験をやっているアメリカに対し,日本では行政自身が主体となっているということです。世界中のタクティカルアーバニズムもうまくいくとどこかの段階で行政と連携することはあります。その意味では、きっかけはゲリラでも公民連携プロジェクトになっていくことはよくあります。しかし、スタートが行政単独なものは、私が知る限りあまりありません。

トークの様子

絹原:コロナの影響とかもあり、投資ができなかったり何も動けなくなったりしている人たちがいます。やはりそうした人たちに対するインパクトがつくれない都市再生になっていますよね。

武田:単純に言うと、大企業ではない、中小企業が取り組める都市再生モデルが求められますよね。それは大阪らしいかもしれないです。

絹原:それは大阪発でできそうな気がしますね。具体的な方向はこれからですが。

武田:単純に言うとダウンサイジングということなのでしょうか。

山崎:開発事業者に対して何が経済的インセンティブの代わりになりえるか、ということですよね。事業者のお金で何か公的な貢献をする部分に、ゲリラ的なアクションが結びつくのかという議論ですよね。

 グローバル投資家は、今やESGに配慮したものでないと投資しないと聞きます。プロジェクトそのものでもいいし、地球環境でもいいし、社会的な包摂性でもいい。地域への配慮でお金が集まりやすくなって事業側の負担が小さくなるみたいなものはどうなのでしょうか。

絹原:日本のまちづくりに金融的視点は少し弱いので、もっともっと入り込んでもいいのかもしれませんね。

編委:今日とても共感したのは、光景と情景の話です。ドラマティックなものがないといけませんが、情景も併せ持っているというところは、水都大阪の本質としてはぴったり来たなと思いました。

山崎:どっちも先になるのがいいですよね。

武田:それもいいことだと思っています。光景疲れっていうのはありますね。

山崎:ありますね。一時期、賑わいづくり疲れがありました。「ゆとりづくりではだめですか」みたいな(笑)

武田:その塩梅が、コロナの流れと合わせてうまくいけばいいなと思っています。パブリックライフの質が普通の豊かさを求めるようになるといいなと。

山崎:賑わいづくりを目指すと一人当たりの面積が狭くなりますし。一人でいられる場所って大事ですよね。

武田:そちらの方が難しいと思っています。賑わいづくりの方がよっぽど簡単で、一人で本当に上質に過ごすことができる空間を作ることの方が指標としてよっぽど難しい。

山崎:そうですね。「水と光」は割と賑わい志向で「花と緑」はゆとり志向、一人志向ですよね。これからのまちづくりにおいて、「花と緑」はこの点でも必要なのかと思います。はたから見る大阪人の気質は賑わいですよね。しかし、それだけじゃないというお話が今日あったのは、ある意味新鮮でした。

武田:牡蠣船の話がありましたが「商売なので儲けますよ」というスタンスのなかには愛情もあって、儲けるだけじゃないコミュニケーションが、公共空間に透けるのはいいなと最近思っています。実は、健全な商売のコミュニケーションは一番プリミティブで清々しいのではないかと思います。

絹原:でも今,新たに牡蠣船のようなものをやろうとするとすごく難しいじゃないですか。牡蠣船には歴史という一つの積み重ねを感じていますが、今のところ消えゆくのみですよね。増えないのが悩ましいなと思っています。

トークの様子

武田:大阪宣言はいつでしょうか。

絹原:1990年ですが、当時の提言は「河川の浄化をしていくべき」という自然共生の視点が主でした。その後5回くらい開催されようで、時代を追って国際会議のテーマが変質し、都市力強化などが加えられています。今でも、大阪市のホームページに掲載されています。

武田:部局としてはどこですか。

絹原:大阪市の建設局道路河川部ですね。もしかしたらDNAが今と繋がっているかもしれません。

編委:水都大阪は20歳という話がありましたが、30歳というように、今後の水都大阪はどうなるとよいでしょうか。

山崎:やはり日本の中での新しい制度をリードしていく立ち位置なのではないでしょうか。

絹原:「世界の水都と比べた時に、水都となりえているのか」という分岐点があるのかと思います。今のところ、水運が観光でしかなしえていません。パブリックスペースの一つとして河川をとらえて多様な活動が行われるのが水都であるので、それができているかというところを考えてみてもいいと思います。一方で、今の状態が大阪の水都であると言ってその路線で走っていくもいいのかとも思います。武田先生が言うように物理的につながっていないといったネットワーク化の努力はやめてはいけないと思います。

編委:では、別の切り口から質問すると何をすれば大阪は水都と言えるのでしょうか。

武田:もちろん舟運をより充実させることがありますね。万博きっかけでそれが進めばいいなと思います。

絹原:やはり、パリとかを見ていると水都って舟運があってこそと思ったりもします。それこそ、シビックプライドとかと話を絡めてみてはどうですか。

武田:今の施策はシビックプライドを育てましょうとしか言っていません。今後は、シビックプライドがある人が増えるとまちがさらによくなって、そのまちを見た人がシビックプライドを感じるという循環があるのか、を議論する必要があります。

 その意味では、市民からの水都大阪への恩返しや貢献行為が水都大阪の魅力として視覚化されて映るのは大切なことだと思っています。絹原さんのいう市民参加のリバイバルみたいなのは、その意味でもいいことだなと思います。

絹原:次の世代のタクティシャンが1人ではなくて広がりができていくのもいいかなと思います。

山崎:個人的には大阪はいつも新しいことをやっているように感じていました。大変なことだとは思いますが、活動の継続だけではなく、新しいことをやり続けるチャンネルを持ち続けた方が水都大阪らしいように思います。

トークを終えて記念撮影(左から山崎嵩拓さん、絹原一寛さん、武田重昭さん)
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