プロジェクト・トーキング02_「移住」と「地方の持続可能性」(丹波篠山市)

対談・鼎談
関西支部だより+ 37号(2023年3月版)  
テーマ:「移住」と「地方の持続可能性」(丹波篠山市)
萬田剛史さん(株式会社URリンケージ)
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佐久間康富さん(和歌山大学)
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松本邦彦さん(大阪大学)

■企画趣旨の説明(編集広報委員会より)

日時:2022年11月22日 場所:㈱地域計画建築研究所大阪事務所
主催:都市計画学会関西支部編集広報委員会

まちづくりプロジェクトの批評の場をつくる
関西のまちづくりのプロジェクト・事例を回ごとにひとつ取り上げ、そのすぐれた点や興味深い事象を「独自」の切り口で評するレビュー・トークセッション

編委関西のまちづくりプロジェクトの批評の場を設けたいという思いで立ち上がった企画「プロジェクト・トーキング」は、まちづくりプロジェクトそのものへの評価や批判といった「プロジェクトの良し悪し」ではなく、まちづくりプロジェクトを介した批評者同士の「トーク」を主要な目的としています。

 ここでは「批評者」は「話者」と呼ばれます。話者は、テーマとして設定されたまちづくりプロジェクトに対する着眼や解釈を他の話者に話題提供し、それを起点に話者間で掘り下げを行っていただくことで、当該まちづくりプロジェクトの新たな価値が浮かび上がります。さらには、話者の内なる見識や哲学が表に出て交わりあうことによって、(記録の読者も含めて)互いに学びを高めあい、新たな理念や仮説が立ち上がることも合わせて期待されます。

 第2回となる今回は、「丹波篠山」をケーススタディとし、「移住と地方の持続可能性」をテーマに、萬田剛史さん、佐久間康富さん、松本邦彦さんにお集まりいただきました。では、よろしくお願いします。

グラフィック・レコーディングによるサマリー(作:大阪公立大学Miyu Komaki)

1.話題提供

話題提供:萬田

今回、丹波篠山市の市民活動とその背景に着目しました。 まず、既存資源の活用による活発な市民活動として、今回の大きなテーマである「移住」と「地方の持続可能性」と関連のある、「交流」や「関係人口」というワードにも着目して、先進的な取り組みをご紹介します。

萬田剛史さん(写真右)

一般社団法人ノオトは、古民家を活用し、集落でもてなすホテル「集落丸山」の取り組みを皮切りに、日本各地で集落滞在型ホテルを運営する等、まさに2010年代以降の丹波篠山市を引っ張っている存在かと思います。ホテル「集落丸山」ができる前に何度か丸山集落にお邪魔したことがあります。当時は人口という観点で見るといわゆる「限界集落」という状況に当てはまる状態でしたが、集落の中では住民の方々の息づかいが感じられ、そのことがとても印象に残っています。例えば、集落の墓地に至る道は綺麗に整備されており、住民の方々の自治活動が盛んであることがうかがえました。

中間支援組織である丹波篠山キャピタルは、社会関係資本によって地域課題を解消することを目指して設立されました。「丹波篠山をフィールドとして、『やりたいこと』と『地域でやってほしいことがある人』を繋ぐ」ということに注力して様々な特徴のある活動をしています。岡山県の移住相談員にヒアリングをしたことがあるのですが、移住希望者を、その地域で受け入れてもらえるようにいかにして繋いでいくかを重視していました。丹波篠山キャピタルがキーワードとして掲げている「繋ぐ」とまさに合致していて印象に残りました。

NPO法人SHUKUBAは、廃校を地域の拠点として活用し、地域内外の交流を促進している事例になります。例えば、教室をリノベーションして「チャレンジカフェスペース」として使用している他、農業高校の授業における実践の場等として使われています。普通の校舎活用だけではない、ソフト施策も充実した取り組みとなっています。このSHUKUBAは、かつて宿場町としても栄え、現在では重要伝統的建造物群保存地区となっている福住地区にあり、チャレンジカフェスペースを「卒業」したカフェが福住地区内の別の場所で出店する等、地域内での良い循環が生まれているようです。

また、廃校となった校舎を活用した篠山チルドレンズミュージアムという施設があります。子どもと一緒に楽しめる施設で、広い芝生のグラウンドに加えて、旧校舎内には兵庫県産の材木で作られた大きな滑り台があります。その横には、木製の卵を木製のトラックで運ぶような、遊びが繋がっている場所もありました。私自身も子どもと夢中になって遊んでいました(笑)

滑り台横の木製の卵を運ぶ所(篠山チルドレンズミュージアム)

他にも興味深い取り組みや組織等がいろいろとあるのですが、ご紹介しきれません。そのことからも、丹波篠山市では「活発な市民活動と既存資源の活用」が盛んであることを示していると思います。

次に、以上のような市民活動を支えている背景として、2点着目しました。

ひとつめに、県レベルでの取り組みがあると思います。先ほど取り上げた住民主体の活動や、組織、あるいは廃校の活用といった背景に何があるのかということに着目し、上位計画に注目しました。1985年に、「共生型のネットワーク社会づくり」を基本理念とし、交流の理念を提唱した「兵庫2001年計画」が策定されました。ちなみに、交流ネットワーク構想を謳った第四次全国総合開発計画が1987年に閣議決定されていますが、その先取りを兵庫県はしていたことになります。その他にも、昭和40年台前半から都市部と農村部間で地域間交流を実施している等、兵庫県自体が交流に熱心に取り組んでいたということが読み取れました。

その後、平成元年には、「丹波の森構想」が策定され、いわゆる「森」というところを都市住民との「交流」の場に位置づけて活動していくことが謳われています。令和4年には「丹波新地域ビジョン 丹波2050」が策定され、「新たな価値、共創に挑む」ということが謳われています。この「共創」というワードに代表されるように、本日ご紹介した事例からも明らかですが、ただの「交流」にとどまらず共に何かを創り出すという方向に向かっているのではないかと思います。

ふたつめに、丹波篠山黒大豆(丹波黒)の栽培が育んだ協働の風土です。まず、「犠牲田」の存在が重要だったのではないでしょうか。丹波篠山市は内陸性気候のため降水量が少ないです。また、篠山盆地を囲む山々が低く集水面積が小さいため、農業用水の確保が困難であるという地理的制約がありました。「犠牲田」は、農業用水を有効活用するために、稲作を断念する田んぼのことを指します。そして、「犠牲田」を畑に転換して作物を栽培することを「堀作」と言います。丹波篠山地域での丹波黒栽培はこの「堀作」から始まりました。「堀作」の運用を通して村で話し合い、助け合い、相互に連携しながら取り組む経験と風土が築き上げられました。

「丹波黒」は栽培において非常に手間がかかる園芸作物と言われています。丹波黒の生産者にお話を伺ったことがあるのですが、一言で言うと「雑草との戦い」とのことでした。また、丹波黒の栽培における作業の約60%が11月下旬から12月中旬に集中するということもあり、集落で話し合って、機械共同利用型の生産組合の組織化が進みました(丹波篠山市組織率:約51%、県平均組織率:約31%)。以上のように、丹波黒の栽培を通して協働の風土が醸成されたと言えるのではないでしょうか。

話題提供:佐久間

2つお話ししていきたいと思います。まず1つ、わたしと最初の篠山との出会いはやっぱり丸山集落です。

佐久間康富さん(写真左)

集落居住小委員会という日本建築学会の農村計画委員会の小委員会で、丹波市での研究会のあとエクスカーションで集落丸山に行きました。のちにそのグループで『住み継がれる集落をつくる』という本を書くんですが、集落丸山の話で1章担当させてもらいました。篠山というと神戸大、阪大のフィールドのイメージがあって遠慮していたところがあったんですが、それが最初の出会いでした。

その時に気になっていたのが「10年という時間をどう考えたらいいか」ということです。2009年から集落丸山が始まって、10年間の期限でLLPをつくられた。10年間で事業を解散できるようにして始まっています。集落丸山で佐古田直實さんにお話聞いた時に「10年の期限を決められたから、いっちょやろうかっていう気になりました」ということおっしゃっていて。

『住み継がれる集落をつくる』の執筆時に、集落の持続性をテーマにしていたんですけども、今日も関係人口の話題にもつながるかと思うのですが、みんな頑張ってるんです、でも、本当にそれって永続できる取り組みなんですか、という問いに行き当たりました。いくつかの事例のお話を聞いて、いまの世代はやれているけど、次の世代はよく分からない、今のリーダーがいる間はいいけど、その先はよく分からない、これで持続的といえるのかとの課題に悩む時期がありました。でも、そこで気づかされたのは、「この10年」じゃないですけど、「期限が決めらたから頑張れる」っていう言葉です。最初から100年、200年のプロジェクトがあるわけじゃなくて、年限を切ることで初めて意思決定ができ、意思決定ができることで初めて何かが繋がっていく、これが「住み継がれる」ということではないかと。『住み継がれる集落をつくる』の最後に書いた図ですが、集落の持続性を考える時に、可能な意思決定の時間がまずあって、それがバトンリレーのように繋がっていくっていうことが、住み継がれるということじゃないかと。考えてみれば至極当たり前のことかもしれませんが、関係人口の話も、人口減少への対応も、このバトンリレーモデルが大事なのではないかと思っています。

図 住み継がれる対象(異なる時間軸が重層しながら住み継がれていく) 
 (『住み継がれる集落をつくる』228pの図をプレゼンテーション用に編集)

この時間を区切る、可能な単位の意思決定ができる範囲に時間を分けていくことは、いろいろ考えさせてくれるコンセプトだと思っています。

エクスカーションでお邪魔してから、集落丸山には何回かお話を聞きに行くわけですが、その時は、成功事例としてよく紹介されていましたが、「本当に成功事例といえるのだろうか」、とも思っていました。いい集落で、空き家もあるし、リタイアもして、のんびり暮らそうかという時に、古民家の宿泊施設が始まるわけです。集落の人が運営するのはよいことですが、お母さんたちが朝ご飯作ったり、掃除もするわけです。住み手の人って本当にどう思ってるんだろうかと。

結論から言うと、みんなさんそれなりに納得して従事されているということがわかりました。以前から、都市農村交流で「おもてなし疲れ」といった課題が指摘されていますが、佐古田直實さんは「最初に挨拶に行くだけで私は何のお手伝いもしません、ほったらかしです」って言って、10ぐらいの交流事業が集落丸山を舞台に展開しているんですが、佐古田さんは、なんだかんだと楽しそうにお話しされている。いろいろとご縁が繋がっちゃってみたいな感じでおっしゃっていて。これはこれでいいのかなって思ったのが一つです。

それから、そうは言っても、お母さんたちに負荷がかかるんじゃないかと。お母さんたちに1日どういう仕事の流れになっているのかということを、いま有明高専の藤原さんと一緒にうかがいました。お母さんたちは、朝起きて、出勤して、宿のご飯を作って、一度家に帰って今度家のご飯作って、お客さんが食べ終わった頃に片付けていって、また家に帰って。チェックアウトする頃にまたお掃除して、お掃除終わったら家帰って、チェックインする頃にまた出かけてと。

それなりに大変かと思うんですが、何か言葉にするという次元ではないのかもしれませんが、みなさん「しゃーないな」ということと、再三「私たちは無理をしないんです」、とおっしゃっていました。ある納得感を持って受け入れられているっていうことを感じました。

最初の頃はお迎えの時に制服着て、お客さんの到着を並んで外で待っていたらしいんでが、そういうことはその後やめたそうです。少しずつカスタマイズしながら、また働く場所と生活の場が隣り合っていることで実現していることが分かりました。それなりに負担はあると思うんですが、みなさん納得されてやられていると感じました。

今、12年目ぐらいですかね。女将さんも代替わりして、次の人が担当されているそうです。2期目も継続して良かったとは思いますが、わたしとしては1期目で終わっても10年間をちゃんと繋いだっていうことは、これはすごいプロジェクトだったんじゃないかなと思っています。バトンリレーのバトンが途中こぼれ落ちることあるかもしれないけど、その可能性を次の時代に先送りしていくっていうことが、住み継がれることっていうことだと思いますし、集落丸山から教えてもらったことです。

もう一つは、みんなプロジェクトがうまくいってそうに見えるんですが、そもそも「計画ってあったんだろうか」と。

これまた別で都市計画学会内の「都市空間のつくり方研究会」ってまた別の研究会での議論です。馬場正尊さんの図に、計画する人、つくる人、使う人があって、今までのまちづくりは、まず計画する人が絵を描いて、それで最後に使う人がいるんですが、リノベーションの時代は、使う人がまずプレイヤーになって、次につくる人が支えるように、順番が入れ替わっていくと説明する図があります。じゃあ、矢印の最後になる計画する人ってなにするんだろうか、と。その計画する人たちの役割を馬場さんは語ってなくて。篠山の事例をもとに、考えてみましょうっていうことで、お話を聞きに行きました。

公開研究会では、崩れている古民家が目の前にあるから、身銭切って買い取って、一つ活用の事例をつくると周りの理解が一気に進んで古民家再生が広がったというお話をうかがいました。はっきりとした計画はなかったんですが、どうやら築城400年祭がキーになっていて、市民参加でつくりあげた築城400年祭の過程で、古民家の持つ価値や篠山らしさが共有されていったようです。計画にはイメージやビジョンを共有する役割があるのではと思いました。

その後、金野さんには「分散型開発」という、低密な状況にあわせた都市の論理ではない農山村の論理の開発の考え方をうかがいました。隣に空き地があれば街並みが崩れているということではなくて、車社会に対応して駐車場にしたり、イベントで活用したりできる。大阪公立大(元大阪市立大)商学部の立見先生とご縁があって、現在住総研の助成をいただいて共同研究をしていますが、空き地を使ったイベントもしています。低密なら低密のままでちゃんと使っていく考え方を教えていただきました。計画について考えさせてもらったことが二つ目の話題でした。以上です。

話題提供:松本

大阪大学の松本です。よろしくお願いします。前半は自分が篠山とどう関わってきたのか、後半は移住・定住等に関して研究室で行ってきた研究を紹介します。

松本邦彦さん(写真左)

篠山との関わりは2002年が最初で、現在は関西大学におられる岡先生が当時大阪大学で担当していた設計演習の対象地として関わりました。現地は勝手に見に行ってということで、友達と車で行きました。市役所西側にある郵便局の敷地を対象に活用と建物を提案する課題で、町家をコンセプトにした施設を計画した記憶があります。その後はあまり縁がなく、再び篠山と向き合ったのはその5、6年後でした。前職のスペースビジョン研究所所属時に、まさに社会人としてはじめて担当した仕事が篠山市さんの歴史文化基本構想の策定業務でした。成果物はタウンページみたいな分厚い背幅の報告書で存在感があり、たまに今でも「あの報告書に関わられたのですか?」と言われたりします。今でも活用されているようなので、業務に携わって良かったなとも感じます。文化庁の文化財総合把握調査というもので、先輩と市内の集落や地区、264地区全てを巡って、篠山市内の地域資源をくまなく調べ上げ、それを集落単位でまとめた集落カルテを作りました。私は新人ということで主に調査とデータ整理を担っていました。茅葺民家を全て調べようということになり、航空写真に写る屋根を凝視して地図にプロットし、現地に確認に行くという調査もありました。調べてみると実感以上に多いということも確認できました。先ほど話題に出た丸山集落もその際に訪問しましたが、篠山らしい風景の一つとして、地形と関係しながら茅葺き民家が立地する様子があると思います。地域や市民向けアンケート等も実施して4711件もの地域資源データベースができましたが、それをGISで地図上にプロットしたデータも作成しました。その後も活用頂いていると聞きましたし、自分でも結構面白いデータが整備できたと思っています。

図 茅葺民家の分布(丹波篠山市)
出典:篠山市教育委員会編(2011)「篠山市歴史文化基本構想」

阪大に研究者として戻ってきてからは関わりがありませんでしたが、2年前から篠山市まちづくり審議会の委員に就任しました。兵庫県の緑条例や市独自の地区単位の土地利用計画をはじめとする、景観をきちんと土地利用の観点からコントロールする仕組みに触れてみたいという気持ちがありました。実際に委員として開発案件の審査に関わる中で、産業振興や経済との両立など判断が難しいことも多くありますが、それも含めて研究フィールドとして面白いと感じながらやっています。

先ほどの地域資源をきちんと把握し、保全活用を計画的に行ってきたこと、さらにそれを下支えしている土地利用に関しても自然環境との関係から計画的に保全してきたことが、現在の篠山の環境や景観を魅力的なものとしてきたと考えています。そして、それが移住や定住に繋がる要因の一つなっていると私は思っています。

移住・定住というのは、言ってしまえば個人の話であるわけなのですが、今回は都市計画学会の場で、プランニングの視点からどう捉えるのかを自分なりに整理していました。

各地の移住・定住の施策をみていると、地域というよりも自治体という組織体を消滅させたくない、そのためには外部から人に来てもらわないといけないというロジックが透けてみえるものもありますが、それはちょっと品がないなと思ってしまいます。先ほど話したような、環境・景観や地域資源のあり方、それらに小規模な圏域での経済も含めた循環、環境省が盛んに提唱している地域循環共生圏のようなものですが、それが健全なものとして持続することが重要だと思います。移住・定住自体が目的化するのではなく、それにより新たに仕事が生まれたり、また持続したり、他にも圏域内での消費が増加し経済面でも持続することが目的となるべきではないでしょうか。それが実現することで、篠山らしい集落の社会構造や、それに呼応する景観など、多くの人が丹波らしいと感じる環境も持続すると思っています。まずはとにかく移住・定住が増えていかないと話にならないのは確かなのですが、その先の目標にきちんと結びつくものとなっているのかは、行政施策・計画において重要な視点だと思います。学術的には社会と環境が持続するようになれば経済もしっかり動いていくことを示すのが必要なのかもしれません。これができれば移住や定住促進の施策や民間の活動のモチベーションアップにつながるでしょう。食料供給や災害防止など国土保全レベルの目標もこれらの先にあるのかもしれません。ただし、こうした広域スケールの話になると各市町の利害関係も複雑で難しくなってしまいます。

ここまでの話の延長線上で議論したいのですが、移住はあくまで個人の話であるのですが、果たしてどれだけ地域に影響を与えることができるのでしょうか。どこで、どのように住みたい・働きたいのかという人生のプランニングと、地域の空間や経済のプランニングは、解き方に共通性がありそうですが、それはイコールではないように思えます。個人の話であるとすれば、失敗したくないとか、うまくいくように事前に準備ができるのであればやっておきたいなとか、失敗したとしても保険があったらよいなと考えると思います。それらがプランニングの対象だとすると、悩みを解消してあげる、背中を押してあげるような仕組みを計画すべきということになると思います。

一方で移住者が憧れる農村の空間や暮らしというのは個人ではなく公・共の話であって、じゃあそれらの価値の保全は誰が担っているのかということが重要だと思います。内発的発展という言葉もありますが、観光、交流、ひいては移住・定住で人の動きが活発になるのはいいけれども、外側からの働きかけだけでなく、それを契機に内側からもしっかりとしなければなりません。交流・移住・定住が農地や森林の管理の担い手につながる、地域資源を活用したビジネスなどに繋がることがプランニングの目的になるでしょう。移住者と地域との認識ギャップの問題や、移住者が地域資源のフリーライダーになっているという問題の要因の一つに、移住・定住を支援する仕組み自体が、移住することを目的化してしまっていて、将来的なゴールをそのように設定できていないことがあると思っています。

後半の研究の話に移ります。自身および研究室で実施してきた研究を振り返ってみると、2005年に二地域居住についての研究がありました(森奥悠人,澤木昌典,都市農村交流における二地域居住の可能性に関する研究,日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集,2006,vol.4, pp.21-24, 2006)。関西の多自然地域の89市町村への調査なのですが、当時は二地域居住の施策は6市町村のみ、定住施策も8市町村のみの実施でした。論文には「ニーズが顕在化していない」ことが理由の多くであると書かれていましたが、この10年、15年で凄い勢いで変化したなと感じます。次の研究はコロナ禍の2021年、去年の研究ですね。これは先ほどの背中を押してあげる施策の話ですが、地域に導入された滞在拠点が移住・定住への一歩を踏み出す後押しの役割を担っているのかという研究です(岡田早彩,松本邦彦,澤木昌典, 多地域居住促進に資する多自然地域の滞在拠点の役割, 都市計画報告集, 2021, 20(2), p.258-264)。お試し居住の施設、公営住宅の短期間居住、また体験プログラムを提供する拠点などが対象です。2005年の研究結果を踏まえると、該当する施設の数が増えてきていることが確認できました。地図にプロットすると丹波地域ほか大都市からそれほど遠くない周辺部にこのような施設が立地していることが確認できました。これらを足掛かりにさらに人が動いていくと面白いと思っています。

図 多自然地域における多地域居住者が利用できる滞在拠点(事業形態別)の分布
出典:岡田早彩,松本邦彦,澤木昌典, 多地域居住促進に資する多自然地域の滞在拠点の役割, 都市計画報告集, 2021, 20(2), p.258-264

次の研究は同じく2021年の研究で京都府の移住促進特別区域に関する研究です(新井崇史, 松本邦彦, 澤木昌典, 住民組織が実施する地方移住支援の効果, 都市計画論文集, 2021, 56(3), p.765-771)。移住先となる地域の住民組織が移住者への情報提供や住居等の情報提供などを行う仕組みで、移住後の地域との関係を予め構築することも期待され、府はそれを後方支援しています。調べてみると、府内15市町村99区域で制度が活用されていました。回答協力を得られ、かつ実際に移住支援の取組を実施している44組織のうち、この仕組みが移住者誘致に繋がっていると認識する組織は30、一方で効果はあまり認識できないねという組織が14あり、地域によって差がありました。その差の要因を決定木分析により分析すると、まず移住希望者からの相談対応体制の有無が最も効いていました。それに次いで、定番かもしれませんが移住関連イベントの実施有無が影響していました。やっぱり何か関わるきっかけをつくることが重要で、それを着実に実施していると、集落の人たちも移住促進の効果をしっかり認識できるようになるということです。拠点や施設を整備して後押しをするのか、集落として一致団結して取り組んでいくのか、実際に成果が現れるのはまだ先かもしれませんが、いろんなアプローチの仕方があるという話題提供でした。

2.トーク

※第一回と同様、カード・ダイアローグを活用、それぞれがお互いの話題提供を聞きながら書き留めたメモを貼り出して、俯瞰しながらできるよう貼り出して進行

繋がり

佐久間:田園回帰の三つの課題として「住まい」と「なりわい」と「コミュニティ」とがよく言われますけど、やっぱりコミュニティとの接点が大事だと改めて思いました。

松本:萬田さんの話の中で「繋がり」というワードが出ていました。「繋がり」とは、強い繋がりなのか、または緩やかな繋がりなのか、またそれらをどこまでどのように繋ぐべきなのでしょうか。丹波篠山のような、地域で積み上げてきた土台がある場合に、そこに求められる繋がりは何なのでしょうか。

萬田:以前、移住相談員の知り合いに、移住がうまくいっている地域と、そうでない地域の違いを尋ねたことがあります。そうすると、「ターゲット層を明確にできているか」と、「先に移住してきた先輩移住者が、集落と新規移住者の間をしっかり取り持つことができているか」の違いを挙げられていました。本当に必要な「繋がり」とは、集落と移住者のしっかりとした「繋がり」なのかもしれません。

佐久間:「繋がり」の話に関連して、「新たな価値をつくる」という話が気になっています。学生にも地域の人に、地域づくりの話をする時、「新たな価値をつくる」ことが重要と話をしています。しかし、いつもそこで話が終わっています。そろそろ、「新たな価値」とは何か、そのつくり方は何かという、もう少し解像度を高めた議論がしたいと思っています。あとは、松本さんの内発的発展に関してですが、かつて外発的発展に対する内発的発展を謳っていた時代がありました。新しい内発的発展、ネオ内発的発展っていうのは、もうその外を手段として使って、中の人が自己決定するという話です。そもそも持続しないといけないのか、何が持続されるべきなのかという問いは、このトーク全体を串刺しするようなキーワードだなと思いました。移住、定住は本当に政策になるのか、要するに個人の事情のお引越に、なんで政策的に介入しなきゃいけないのかっていうのは、90年代ぐらいから議論されているので、やっぱり気になります。

松本:移住・定住の先に何があるのだろう、住民の取り合いが目的じゃないはずですよね。

佐久間:日本全体で人口が減っているので、移住・定住で量的に農山村の状況を改善しようとしても無理がある。質的変化をどう引き起こせるのかが大事です。その集落が持続する期待を抱けるかどうかです。

萬田:「新たな価値」とも繋がってくると思うのですが、人口が減少していく中で、いかに農山村の管理を省力化するかという視点も大切かと思います。総務省の調査で、平成27年から令和元年にかけて、全国で139の集落が消滅したという結果が出ています。その消滅した集落をそのままにしていると、獣害をはじめ環境面等、様々な影響が出てきます。となると、消滅した集落を含めていかに少ない労力で管理していくかを考えていく必要があると思っています。例えば、農山村の活性化に力を入れているアウトドア企業が、CSRの一環として、農山村の環境をいかしたテーマパークのような場所を作り、管理もしていくなどの活動により、「新たな価値」を生み出せないでしょうか。

松本:同感です。コミュニティに依存する方法は、実際の移住者がコミュニティとの関わりに積極的であるとは限らない点に難しさがあります。

佐久間:コミュニティに依存したモデルは担い手が高齢化し厳しい現状の中で、企業に頼っていくことも重要と、私も考えます。

松本:移住・定住」と「地域の維持・省力化」が噛み合わっていないということかもしれません。コミュニティに加わることまでを期待しての移住・定住の呼びかけとはなっていないというわけです。本当はそれらがうまくつながるのが理想的ですが、それがなかなか難しい。企業にはどんなメリットがあるのでしょうか。

佐久間:企業も稼ぎ方が問われてきています。美術品を買うのが社会貢献じゃない。無印良品は移動販売車を過疎地に走らせたりシャッター街でポップアップストアをやったりしています。CSV(共通価値の創造)といわれるような、企業のメリット・ミッションが再定義されて稼ぎ方自体が変わりつつあるのかなという気がします。

トークの様子

新たな価値

編委:集落の価値に関して、移住者や企業というキーワードを中心に議論頂きました。しかし、本質的に、その集落の価値が、住民の「想い」と一致していないのではと考えました。つまり、住民が想う価値と、本来あるべき価値のミスマッチを、どう理解したら良いのでしょうか。そして、そのミスマッチを解消するために、プランニングは何を対象とするべきなのでしょうか。

松本:「想い」とは、まだ新しい価値が見えていない状態なのかもしれません。新しい可能性を提示しなければ、今までのサイクルは抜け出せないのかもしれません。

佐久間:住民の「想い」は、意外とハッキリしていないかもしれません。住民のぼんやりとした想いを、一つずつ言葉にして紡ぎながら、手探りでプランニングするしかないと思います。

萬田:住民の「想い」と世間一般の流れが相反する時があります。例えば、島根県隠岐諸島の西ノ島町に、釣り人の間で有名な三度(みたべ)という集落があります。そこはかつて、日帰りでは行けないため、小さな集落であるにもかかわらず民宿が数件ありました。しかし、技術革新によりクルーザーの性能が上がったため、三度集落の民宿へ宿泊する必要性がなくなったことから、結果として民宿は全て廃業しました。このように、「想い」と「現実」はマッチしないことがあります。

佐久間:何となく「古民家再生、いいよね」って、わたしもよく思ってしまいますが、本当に誰にとって良いのか、誰がどう判断しているのか、考えておくことも大切だと思います。

例えば、移住・定住の議論で、個人の引っ越しは政策には乗りません。それは個人の事情での意思決定ですから。でも、ターゲットが明確で、繋ぎ方としての環境を整えることによって個人の移住・定住を促すっていうのは政策なんじゃないか。枠組みを整えて必要に応じて支援をするという「環境を整える」ということは政策として可能性があるのではないでしょうか。後ろから背中をそっと押してあげる、頑張ろうとしている人に対してちゃんと応援をしてあげるような「環境を整える」ことをどうつくるかがわれわれの当面の課題かなと思っています。

コロナ禍の影響

編委:コロナ禍は、集落を中心とした地方に、どのような影響を与えたのでしょうか。

松本:今までゆっくりと影響が顕在化しつつあったものが、コロナ禍の影響で促進された印象はあります。

佐久間:私は、コロナ禍の前後で何も変わらなかったと考えた方が、元気が出るかなと思います。確かにオンラインコミュニケーションが発達したことは良いことと思います。「コロナ移住」をよく聞きますが、勤務地は変化していないので、ライフスタイルは変えずに住まいを移す「引越し」は増えても、ライフスタイルも住まいも変える「移住」が、増加したとは聞きません。受け入れる地域側も、あまり動いていないという実態があります。

萬田:逆に、コロナ禍で失われているものはあるのでしょうか。大学生でもサークル活動ができないので始め方がわからないという話があります。集落という視点で見ると、集落に代々伝わる祭りなどがコロナ禍により開催できなくなり、文化の伝承ができなくなったという所もあるのではないでしょうか。

松本:コロナ禍で、お祭りをやめた地域などはありそうです。佐久間先生が言われていた「環境を整える」の観点からだと、コロナを機に、2拠点居住にチャレンジしている人などが色々いるんだなとか、地域に根ざして暮らしている人がいるんだなとか、そういったライフスタイルの実践を知る機会にはなったような気がします。こうした動きに触発されて「自分もやってみよう」と思う人が出てきているのではないでしょうか。

佐久間:お祭りは、若い世代が上の世代に対して、「このルールはなんですか?」と尋ねたりして、世代間でルールを共有する機会になっています。そのような機会が無くなってしまうのは、少し気がかりです。

松本:直接農家さんから農作物を買うなど、消費者が地域の生産者と繋がる話題も、パンデミック初期には多かった気がします。人と人の繋がりについて兆しが見えてきたのかもしれません。

佐久間:新たな価値を生み出すのはオンラインだと難しいのではないでしょうか。今まで大事だと思っていたものを、これからも大事にすることが重要と思います。

松本:後々振り返ってみると何か変化が見える可能性もありますが、それはまだわからない状況だと思います。コロナ禍が社会を変えたというよりも、何かが見えるようになったという方が適切かもしれません。

萬田:それこそ「新たな価値」が見えてくるのかもしれませんね。

佐久間:価値を認識するときに、ストーリーがあると認識しやすいです。

松本:そのストーリーが最もらしく思える空間が残っていることも大事です。また、「新たな価値」とは常に追い続けるものなのかもしれません。

佐久間:大事な観点ですね。冒頭の萬田さんの三位一体の話に戻りますけど、歴史とか景観とか仕組みの部分と空間が持つ力がありますね。「新たな価値」とは、「価値」よりも、「新たな」の方が重要なのかもしれませんね。

松本:次に向かっている状況や探している状況がいいのかもしれませんね。バトンリレーモデルのように、時間軸を区切ると、価値の捉え方もクリアになります。

トークの様子

プランニングの役割

編委:行政は、移住に対して、どれくらいの力加減で、背中を押すべきでしょうか。

佐久間:丹波篠山は立地がよく、人がよく行き交う、流動性の高い地方だと思います。一方、和歌山の中には、立地が良いと言えない地方もあります。そのたえ、地域とのミスマッチを防ぐため、地域を知るための多くの段階を用意するような自治体もあります。

萬田:移住相談員の知り合いによると、移住希望者が集落に合うかを考えて、地域と結びつけているそうです。

編委:集落に先祖代々住み続ける方の中にも、自分の代で継がない方がいます。移住してきた方は、引き継ぐものがないため、次世代へ繋ぐことは、さらに難しいです。移住後に次の世代まで繋いでいくためには、プランニングは何ができるでしょうか。

佐久間:だからこそ、バトンリレーモデルが大切だと思います。遠く先の未来は誰にも描けません。流動性を高めるということと、その上でいろんな人が交わって新たな価値を生むような環境を作っていくことが、本来の移住・定住の質に働きかけると思います。もちろん世代を超えて持続するかはわかりませんが、分からないなりに、10年に区切って意思決定したことをやってみることが大事だと思います。

トークを終えて記念撮影(左から萬田剛史さん、松本邦彦さん、佐久間康富さん)
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