地域生態学への歩み

2019年3月号

大阪府立大学 上甫木昭春

 昭和47年に大阪府立大学に入学した後、ランドスケープの領域でずっと過ごし、今年3月が定年退職となる。この間の「都市と私」をこれまでの仕事をもとに振り返ってみる。

 まず、大学卒業後の設計事務所では、公園や広場の設計、住宅地の外構設計などに、屋外環境の快適性や景観形成の視点から取り組んでいた。その後、大学に戻り低層集合住宅地の景観計画や公園の再整備計画などの研究に携わった。さらにその後、再び民間に送り出され、国際花と緑の博覧会の園路広場計画の基本設計を担当することになる。従来の博覧会はパビリオン中心の博覧会であったが、花と緑の博覧会は、花の生活文化を創出する初めての屋外型の博覧会であるので、安全性も確保しつつどこまで花・緑・水などの演出による快適性を確保できるかを定量的に検討したことが思い出される。この博覧会を契機として、町中にも花による修景がなされるようになり、花の生活文化が浸透してきたといえる。この頃までの仕事は、「快適な生活環境の創出」を目指した仕事が主流であった。

 リオで地球サミットが開催される平成4年に、兵庫県立人と自然の博物館に移ることになる。その頃から「人と自然の共生」が言われるようになるが、この博物館ではシンクタンク機能にも力を入れ、その成果の一つとして「兵庫ビオトーププラン—人と生き物が共に生きる社会をめざして—」が策定され、具体的なビオトープ整備にも多く関わった。この時期に、ニュータウンにおける孤立林の保全活用の方向性を、自然生態的な側面と人間生活への活用の側面から調査し、自身の博士論文としてまとめた。このように平成の始め頃から、徐々に「自然と共生する環境共生」が社会に求められるようになってきた。

 そして、平成10年に大阪府立大学へ出戻り赴任となり、それまでの経験を踏まえ、地域の自然との共生、歴史との共生、共生環境のマネジメントを探る「地域生態学からのまちづくり」に関わる研究に取り組んだ。そして終盤には、ランドスケープを専門とする筆者と農業経済を専門とするスタッフが日常的にコラボすることになり、地域生態学にさらなる拡がりがもたらされた。大学での一連の取り組みは、「自立した健康な地域づくり」を目指したものといえる。

 ともかく、昭和から平成にかけてランドスケープに求められる視点がめまぐるしく移り変わり、私の関わった仕事にも見事に反映していたのである。

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