私の平成時代をふりかえってみた

2019年3月号

アルパック 坂井信行

 平成最後の関西支部だよりに貴重な執筆の機会をいただきました。私が社会人になったのが平成2年4月、“業界人”としてのキャリアも、ほぼ平成の幕開けとともに始まりました。そういうこともあって選んでいただいたのでしょうか。それから早30年。30 年もやっていてその程度か、という叱責はもちろん甘んじて受けるつもりですが、私の平成時代をふりかえってみました。

 社会人になる前年、昭和が終わりました。当時はいわゆるバブル景気の真っ只中、世間は天皇崩御で自粛ムード、臨時休業したディスコの前でお姉さんが「ふざけてますね」とテレビのインタビューに答える。社会人になってしばらくは、泉州地方の業務にいくつか関わりました。関西国際空港の開港を目前に控え、対岸のりんくうタウンにはタワーが数十本も建つ絵がもてはやされる。会社の先輩は「泉州は君の時代のメインフィールドになる」と。そんな時代でした。

 バブル景気の終焉は、一般には平成3年といわれていますが、税金が主な収入源である公共団体では景気の下降に若干のタイムラグがあります。法制度はさらに遅れます。平成4年の都市計画法の改正で用途地域が8種類から12種類になりました。バブル景気の影響でオフィスビルの土地利用圧力が住宅地に押し寄せるという、およそ今とは真逆ともいえる事態への対応でした。この時には新用途地域の指定基準づくりや見直しの作業マニュアルづくりにも関わらせていただきました。

 阪神・淡路大震災が発生したのが平成7年1月。直後の大混乱の時からメディアも震災報道一色でした。3月の地下鉄サリン事件の発生までは。関西ではまだまだ“非常事態”。情報は東京中心に発信されることを痛感しました。今から思えばバブル崩壊のわずか数年後だったわけです。震災関連の業務にもいくつか関わりました。これ以降は何となく盛り上がらないというか、まさに失われた時代、それゆえ落ち着いて勉強できました。視野を広げ、資格試験にチャレンジできたのもこの前後です。

 平成が終わろうとする今、都市をめぐる状況が大きく変わってきているのを肌で感じます。パラダイムの変化。しかし、これは私が社会人になってからずっと語られ続けてきたことのような気もします。そして、おそらく私たちの先輩が、昭和から平成に変わる頃にも感じていた感覚ではないでしょうか。時代は連続的に変化するもの、どこを切り取って見るかで見え方も違ってきます。事実、平成という時代は日本にしかありません。

 昭和は激動の時代と言われることが多いですが、平成はどういう時代だったとふりかえられるのでしょうか。ICTが飛躍的に発展したことは間違いないでしょう。スマートフォンがこれほどまで一般的になったのは平成の時代にスティーブ・ジョブズがiPhoneを発明してくれたおかげです(彼を「平成の人」という人はいないでしょうけど)。ソサエティ5.0。過去をふりかえるのはこれを限りにして、私自身も「あの人は平成の時代の人だから」と言われないよう気をつけようと思います。

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