都市の「余白」を取り戻すプレイスメイキングの潮流

2019年3月号

(有)ハートビートプラン 園田聡

はじめに

 平成の30年を都市デザイン・都市計画の視点から見つめ直すと、大きなテーマの1つに「つくる時代」から「つかう時代」へのシフトチェンジがあったように思う。

 戦災復興、オリンピック、万博、そしてバブルへと向かう激動の昭和の時代には、戦争で失った生活を取り戻すために「マイナスからゼロ」へと新しい都市の基盤を作り上げた。そして、バブルの終盤、崩壊と共に幕を開けた平成の社会では、長く続いた閉塞感の中でモノやカネへの信用が低下し、「コト消費」と言われるように豊かな体験へと価値が置かれ、都市空間においてもいかに付加価値をつけて他と差別化するかという「ゼロからプラス」への流れが生まれた。都市の公共的空間もまた、そうしたデザインの対象となった。

規制緩和による公共的空間の開放

 2000年代に入ると、都市政策のメインテーマに掲げられた「都市再生」の名の下に、平成14年の都市再生特別措置法制定、平成19年の都市再生推進法人制度導入、平成23年の都市再生特別措置法改正に伴う道路占用許可の特例制度導入、河川敷地占用許可準則の改正、平成24年の民間まちづくり活動促進事業制定、といった官民連携による都市再生推進の施策が次々と打ち出された。この流れは、平成29年の都市緑地法・都市公園法の改正、平成30年の地域再生法の改正に伴う日本版BID制度の創設、といった形で都市の整備のみでなく都市の運営の視点も加えられて加速している。このような流れの中で、国が着目したのがプレイスメイキングであった。平成26年に国交省都市局の官民連携推進室が取りまとめた報告書の中で「プレイスメイキングを推進する」と明言した事や同年に開催されたプレイスメイキングに関する連続シンポジウム等によって国内での注目度も高まり、様々な取り組みが展開されている。

関西におけるプレイスメイキング的な取り組み

 プレイスメイキングの本質は空間の整備・活用におけるプロセスをデザインすることにある。その視点で見ると、国が推進する以前から関西においても先駆的な取り組みは多く行われている。

 平成13年に第3次都市再生プロジェクトに指定されたことを機に始まった「水都大阪」の取り組みは、大阪府、大阪市、経済界が中心となり、戦略的な水辺の利活用から都市を再生するというコンセプトを掲げた。PPPエージェントと位置付けられる中間支援組織の積極的な動きもあり、中之島公園を舞台とした「水都大阪フェス」や遊休化していた府有地を活用した「中之島GATE」といった具体的な事業が展開され、その大きな成果も含めて全国の水辺活用の動きを加速させるきっかけとなった。平成20年、地元による自主検討から始まったなんば駅周辺道路の歩行者空間化に向けた動きは、協議会の設立、まちづくり構想の立案、構想の実現へ向けた協議を重ね、平成28年に駅前の交通ロータリーを3日間限定で広場化する社会実験を実現した。この実証実験で駅前空間の新たな在り方を提示したことで、現在は状態的な歩行者空間化に向けた検討や協議が一段と加速している。また、平成25年には、大阪駅北側にグランフロント大阪が開業し、都市再生特別措置法に基づく道路占用許可の特例制度を活用したオープンカフェ及び広告板の設置を実現した。その2年後には関西初となる国家戦略特区制度を活用した道路占用イベントを開催し、大規模開発における公共的空間活用の可能性を切り開いた。平成27年にリニューアルした天王寺公園(てんしば)は、設置・管理許可により近鉄不動産が20年に渡って公園の管理運営と事業を行うPPP型の新しい公園運営の形を実現した。この他にも御堂筋の大規模な道路空間再編や三宮駅前の再整備、KOBEパークレット等、各地で公共的空間を活用して都市に豊かな生活のシーンを生みだすプレイスメイキング的な取り組みが広がっている。

終わりに

 このような「つかう」時代のプレイスメイキング的な流れは、近代都市計画以前の日本にあった都市の「余白」を取り戻す動きにも感じる。機能と空間が1対1対応となった固定的な都市空間ではなく、利用者の自由な解釈を促し、多様な活動を許容する「余白」的な都市空間が次の時代の都市デザインに求められているのではないだろうか。

写真−1 なんば駅前の社会実験の様子

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